佐藤けんじ

佐藤けんじ 道南発、日本の未来。

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2006/12/21
ブラックジャーナリズム

総会屋系新聞という死語に近い言葉がある。トラブルやうわさ、捏造まで、何でもあり、記事にしてほしくなければ、新聞に広告を載せろ、あるいは購読しろというビジネスである。いったん払うと、いつのまにか顔なじみの味方であるかのようになり、ライバルや相手方を叩くネタを創り出す役目を担い、より内実を暴露することができるくされ縁の関係となってしまう。つまりこの広告主か、大量購入しているところ、ヨイショ記事を載せている方々のための情報誌にすぎないのである。
報道であるかのように自称するが、まったくことなる商売であることを知っておかねばならない。もっとも、どうみても報道関係者がニュースソースであることしか考えられないものがあり、いわゆるマスメディアには書けないけど、小遣いは稼げるの記事もありうるのである。オフレコ(書かない約束の記者懇談)は報道に載せられないけど流して、うわさがあるかのように書かせ、騒ぎになるとこれをマスメディアで取り上げるというマッチポンプに近い共生状態となってしまう。
勿論、広告やヨイショ記事にビタ一銭払わないところには、徹底した嫌がらせを行うのも、購読者や広告主に威力を思い知らせる大事な仕事なのである。しかし、企業は全てこのようなビジネスと一斉に絶縁してしまっていたはずである。「余計なことで騒ぎ立てられるより、くさいものにフタ」という総会屋ビジネスが明確な犯罪であり、企業の支出が許されない時代にとっくになっているのである。
危ない橋を渡ることになれたビジネスであるから、あの手この手で生き残りをはかり、ツールもインターネットにまで活路をみいだすのである。名誉毀損の裁判にかかる年月と費用、手間は仕事をしている人には許容しきれない負担であり、もしこれで勝訴しても、その判決がでるまで好き勝手に輪をかけられるのである。
もはや必要悪でも世間知でもない。ただの害悪である、これに広告を出すことも、購入することも、ヨイショ記事を書いてもらうことも同じような犯罪に加担しているのでしかないことを自覚すべきであろう。たった一人になって世渡り下手云々と、陰口叩かれても、勇気をもってNOといえる人がつくる社会こそ、民主主義を支える大切な規範が維持できるのである。

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