佐藤けんじ

佐藤けんじ 道南発、日本の未来。

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No. 61 /2007/9/13
総理の辞任表明

どのような事情があろうと、政権を担う責任を突然放棄してしまっている現実に直面している。外資系企業の勤め人のように、ある日突然、日本国総理大臣が辞めてしまった。
僅かな光を求めて暗夜を進む道を選んだはずだが、安倍総理には一灯すら、もはや頼めず、状況を掴み、そして動かし、適切な進退表明の時を選ぶ判断力も失われていた。
誠実で生真面目な方、心が折れたということなのだろうか。
自民党は権力の亡者といわれても、全うし続けるデモーニッシュな力の是非ではなく、拠り所としての意義を持っていたのである。それをポンと捨ててしまった。
自民党は小泉総理時代に並び立つ総理候補ともいうべき政治家は潰してしまっている。親小泉路線の中の人しか自民党では生き延びていない現実は、総裁の交代に伴う大きな路線変更を困難にしてしまっている。政治が民意を掴み、変えていくのは当たり前のことであるのに、誰がなっても改革という正体がよくわからない呪文を錦の御旗として繰り返さざるを得なくなり、これが自縛となる。
終わった劇のアンコールというべきか、しまいには小泉総理再登板を言い出す、総理は任期を全身全霊で打ち込み全うする。安倍総理を追い詰めた課題は小泉総理時代のものである。個人人気は総理の十分条件の一つでしかない。実績も問われることを忘れてはならない。
次なる総裁選びの条件は「直ちに」である。選出過程を云々できる状況ではない。
リーダー不在は直ちに解消するのが義務である。そして総理の退陣表明と内閣の総辞職は解散権を行使しない明らかな宣言である。
今、安倍総理が職を賭すとまでいった国際貢献のありかたを支えるテロ特措法状況があり、この是非を国会で問うことは喫緊の課題。社会保険庁の年金記録不備を片付けなければ「官」への信頼を回復することできない。政権を担う責務があるのに、解散を平気で語ることは責任放棄としか言いようがない。
国民に問うべき課題を総理が問うのが解散権行使である。しかし、国民は最低限の当たり前に踏みとどまる政府であってほしい。そう願っているのである。

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