いろんな立候補の仕方があるのだな、とつくづく思ったのは今回の東京都知事への道のりである。
前宮城県知事としての実績はよく分からないけれど、うまく時流を捉まえることには長けている方がいるのだなと。実績はともかく県知事としての引き際も外連味が無かったし。
名前が出た段階では、まさか他県の人がという否定的なものの見方でまず「ない」という雰囲気、でも目線ははずさせないシャープさを印象づける。次に政党からの出馬要請を断り(本当はこの段階であてがあるから要請できるのであって意思が何も無いわけではないハズ)出ないのかと思えば報道カメラのぶらさがり取材を許し続ける。いかに自分が仕事人で、健康的な働き盛りかを印象づける画像を絶えず流し続ける。
政党が右往左往しながらも内部候補を出そうとすれば、「自分の出る幕は無くなる」と現場型の対応で釘をさし、ぶらさがり取材に意味を持たせる。そう、憤懣やるかたないものの、時期と判断をミスる犠牲者の役回りを政党が担うのである。経過はリアルタイムでテレビニュースの素材を提供し盛り上げる。時間刻みのぎりぎりまで、引きずれるだけ引きずり、一機に会見発表となる。いつの間にか候補者として知名度は屹立しているわけである。
これが告示直前までもってこれれば、手に汗握るドラマ展開でいけてると思えてしまうでしょうね。
見事なテレビ時代のタイムリミット型の演出を見せてくれた。
ここまでやられたら石原プロが実力を見せてくれることに期待が集まりますね。 |