皆様、明けましておめでとうございます。
暮れのフセイン元大統領の絞首刑は年内の片付けるということだったんだな、早いな、でも常道だなと納得しました。人道に対する罪という、なんとも高踏的な罪状でありますが、平和に対する罪もありましたね。お正月でも戦後60年たっている東京裁判の罪状を今一度考えてみたい気になりました。負け犬の遠吠えといえばそれまでですが、勝者の裁きがここまで道徳を振り回さざるを得ないものであることに危惧を覚えます。
しかし、日本占領からの教訓ともいえる敗戦国での平和構築パターンの典型でもあります。
大量破壊兵器の存在の危惧という認識が国際社会を動かしました。必ずしも現存を確認するわけではなく、国が滅んでしまうことを意味しています。挙証責任がどちらにあるかは交戦状態になれば、もう無関係で軍事パワーが決着をつけます。
ブレアに致命傷を与え、米国の右派ウィルソニアンのネオコンが更迭されても基調はかわりません。むしろミアシャイマーのような現実主義者が当初から反対していた通りの結果であるわけで、より国益重視へと理念重視外交からスライドする、少し現実的になる程度であり、それは核保有国家同士は直接争わないという、大きな事実を確認することになります。
極東の安全保障の枠組みが、六カ国協議では解決しないことを確認した時期でもあり、私達は安心、安全だけでなく安全保障という3つめのテーマに直面しています。 |