佐藤けんじ

佐藤けんじ 道南発、日本の未来。

佐藤けんじ
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No. 47 /2006/8/22
公募と売名

政党が幅広く政治の世界に参画する希望者を募る仕組みとして、候補者を直接一般から募集するのが公募である。
もっとも選挙にでたい人は自分から政党にコンタクトするからあまり変わりは無いのが実態ではある。政党が党員である要件もはずしてしまうのは、自民党でも民主党でもどっちでもいいから議員になりたい人であればということだが、永年の党歴を持つ方大先輩からは、実質的に日常の党活動とはまったく無関係に候補者が選ばれることの割り切れなさと、党員を募る場合に、「党員であってもなくても関係なく決めるんでしょ」と言われ、何のための党員かと言われ、困るとの指摘を受けることがある。
確かに公募は通常の党活動とは分離した仕組みであり、応募者の秘匿性が十分に確保されれば、より広い範囲からの希望者に道が開かれる点が望ましい。
一方で私は応募したとか、誰が有力であるとか、日本中からの応募者が確認がとれるわけでもないのに、応募したと自称して売名に努める人を取り上げ宣伝したり、実質的な事前運動の道具に報道機関を利用し、自分以外人に道を閉ざそうとする行為に及んだり、政党の内部分裂を喧伝して他の政党は自らを利する試みすら行なわれる。応募を受けた側が秘匿としている以上、事実行為としての確証がない状態である。関与したければ選ぶ側の政党に属し、貢献する長い年月の努力と政党人の矜持が必要だ。
何でもありになると公募制と称して、選出する側の責任者までが候補者の一人になっていたり、他薦と称して知名度のある人を勝手に候補者であるかのような扱いを発表したり、候補者を他の政党から切り離すことで別の選挙で候補者にしようとプールしたりして、選出過程を報道に発表して、知事選候補者選出の盛り上げを行うこともできるのである。謀略戦略とか、広報戦略とかいろいろ名前はつけれる。
話題を提供するだけか、人々に幻をみさせるだけか、有権者には慌てずに、じっくり見極める時間はある。

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